この機会に自分を掘り下げて、できれば皆さんにどんな人か知ってもらえる機会にしたいな
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ハゲと恋愛ベタに翻弄される日々
ちゃぴの人生をひとまとめにして!って言われたら、「ハゲと恋愛ベタに翻弄された日々」でしょうか。
人には向き・不向きというのがあるとすれば、明らかに僕は恋愛に不向きでした。そしてハゲに向いていました。ハゲに向いてるって意味わかりませんが、ハゲやすかったってことです。
努力が足りないだけなんじゃないの?
確かにそうかもしれません。
ただ、例えば恋愛において「イケメンでスタイルがいい人の努力1」と「そうじゃない人の努力1」だと結果が変わってきますよね?
同じ努力をしても結果が違ってきます。ひがみではなく、僕たちはそういう世界に生きています。
ちゃぴの幼少期
地方のとある田舎町に生まれる。
人口2万人ほどの田舎町に生を授かった僕は幼児期、まったく手の掛からない子どもだったそうです。夜泣きも無し、普段もほとんど泣くこと無しのまさに手の掛からない赤ちゃん。
僕はこれを第一の親孝行と呼んでいます。
幼稚園に入ると、絵に描いたような”恥ずかしがりやの引っ込み思案”で友達も作らず、休み時間も他の子が外で一緒に遊ぶ中、一人教室で積み木とかしてたみたいです。
引っ込み思案すぎて、トイレに行きたいのに言えずに我慢して結局う◯ちをもらしてしまうこともしばしば。飲食店で店員さんに自分で注文することもできず、親に「自分で言いなさい」と言われても恥ずかしがってできませんでした。
自分の世界に入ることを覚えた小学校時代
小学校の入学式の写真を見返すと、36人のクラスでたった一人だけ蝶ネクタイをしていました。笑
他の男子生徒はみんなネクタイをしてるのに、一人だけ蝶ネクタイをしていて恥ずかしい思いをしたのを覚えてます。今なら気にしないようなことかもしれませんが、子供の時は他と違うと浮いているようで恥ずかしい感覚がずっとありました。
このときの事は今も覚えていて、入学式当日、普通のネクタイを一度締めたのに、何を思ったか蝶ネクタイがいいと自ら志願したにも関わらず、いざ学校にいくと一人だけ蝶ネクタイでむちゃくちゃ恥ずかしかったという、何とも自業自得な結末でした。笑
そんなこんなで無難に、目立たず、小学校生活を送ってた僕ですが、何がきっかけだったか6年生のときにクラスの子たちから無視されるようになります。
今思ったら軽いイジメになるのかもしれませんが当時の僕はイジメという感覚はなく、誰も話してくれないなら一人でいればいいやと思い、昼休みも一人教室で過ごしていました。
このときの経験が大きかったのか、今でも一人でいることは苦じゃないし、むしろ居心地がいいとさえ感じてしまいます。
ちょっと、ここまで掘ってみて思ったのが、、、
めちゃくちゃ根暗じゃないですか!?(笑)
明るいとは思ってませんでしたが、ここまでとは思ってなかった。(汗)
あ、恋もしました
小学校時代に始めて女の子に恋をしました。結局その後、中学校卒業するまでずっと好きでしたが、想いを伝えることなく終焉を迎えました。
ハゲがコンプレックスだった中学校時代
入学して数ヵ月すると友達も何人かできましたが、ここで決定的に植え付けられたのが「ハゲ」というコンプレックス。
子供の時って、特に中学生くらいは必ずイジりますよね。
髪が薄かったら「ハゲー!」です。
あのくらいの年代では仕方ないのかもしれませんが、深くコンプレックスとして根付いてしまいました。
不思議なのは、年を取るにつれて、ハゲをイジっていた人たちもだんだん共感する側になってきたな、ということ。
高校生、20歳、30歳と。
20代も半ばを過ぎると「おれも最近ヤバイんだよ」と気にし出す奴が出てきて。
そして30代になるともっと増える。
大人になったってことも大きいと思いますが、ただただ攻撃してくるだけのイジりというのが無くなって、愛のあるイジりに変わってきます。
イジってきても共感ありきのイジりは楽しいイジりになりますからね。徐々に平和になってきました。笑
部活に捧げた高校時代
小学校4年生から野球を始めていたんですが、高校でも続けました。
でも高校に入学して最初は弓道部に入ったんです。
理由は、小学生で始めた野球ですが、小中学校とレギュラーになったことがなかった僕は、高校ではついていけないだろうなと思っていました。そんなとき同じ中学校だった友人から弓道部の見学来たら?って誘われてそのまま何となく入部届けにサインしてしまったんですね。
ただ弓道部の道場から野球部のグラウンドが見えて、辛そうだなぁって思ってたんですが、やっぱり自分もやりたいなぁなんて思っていました。
そこで思いきって弓道部やめて、野球部の監督に直接、「野球がやりたいです、入部させてください」とお願いしに行って入部させてもらえることになりました。
結果、3年間ほとんど試合に出ることはなかったけど、このとき勇気を出して入部してよかった。
あのまま気持ちを押し殺して野球部に入らなかったらずっと後悔していたと思うからです。
誤算だったのは公立ながら強豪校だったことです。汗
一つ下の代は甲子園に出るほどの強豪校でした。
僕はそれを知らずに入部してしまいました。笑
練習は相当ハードでしたが、それでも後悔は一つもなかった。充実した、記憶に残る高校生活だったと思っています。
あ、恋もしました
ほとんど部活づけでしたが恋もしました。ほとんどしゃべることなく卒業を迎え、その後会うことはなくなってしまいました。
燃え付き症候群
3年生の夏、部活を引退してからは燃え付き症候群になりました。
回りは部活が終わって受験に備えて勉強し始めていたのに、僕は目的が見つからず何となく勉強するも、まったく気持ちが入らない状態でした。
そのまま何となく受験するも第一志望に受かるはずもなく、とりあえず受かった大学に入学してしまったんです。
引きこもった大学時代(一つ目)
入った大学は偏差値40くらいの大学で、人生初の一人暮らしを始めた僕ですが、入学して1ヶ月くらいで大学に行かなくなってしまいました。
原因は周りと合わなかったから。正直、大学なんてどこにはいっても同じ、入ってから自分がしっかりしてればいいでしょと思ってたんですが、入ってみたら合う人がいなかった。
この人たちの会話、中学生みたいな会話ばっかしてるな、と思ってしまったんです。
まったく面白くなかった。僕は家に籠るようになり。
3か月後には退学しました。
これから大学を選ぶ人がいたら気をつけてほしいのは自分が行きたい大学にいったほうがいいということ。それなりの学力の学校にはそれなりの人がいるということ。あまり妥協はしないほうがいいです。
あ、恋はできませんでした
ソッコーで大学辞めてしまったので恋はできませんでした。
お酒を飲んだ大学時代(二つ目)
大学を中退した僕はこれからどうしようかと悩んだ結果、何を血迷ったかもう一度別の大学を受験することにします。
そのために半年間、予備校に通い、受験し、今度は前回よりも偏差値の高い大学に受かります。(はい、親のスネかじりまくり君です。)
すると前回の大学よりも劇的に楽しかったんです。話も合うし、一緒にいて楽しいと思える友人が多くできた。
大学入り直してよかったと思えた。
楽しくなりすぎた僕は、2年生の終わりまでお酒にハマりました。笑
不思議と単位は一つも落とさなかったですが、結局何の生産性もないまま大学を卒業してしまいました。
唯一、一年のときに行ったイギリス短期留学は良かったですね。いい経験になった。
あ、恋もしました
入学してすぐ、めちゃめちゃ好きな人ができました。
2年の時に告白してフラれました。その後も好きでしたが卒業して3年後に、僕の親友とその子がいい感じになったのでどちらとも縁が切れてしまいました。(ぐっへー)
20歳で発毛サロンに通う
中学からハゲでイジられてた僕の頭皮はというと滞りなくハゲは進行していました。
せっせとせっせと休むことなく確実に進行していたハゲを見て、僕は決意します。
「そうだ、発毛サロンへ行こう!」
某有名発毛専門サロンに通うことを決意します。
結果、200万使いハゲました。笑
そのときの詳しい話はこちら
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20代後半で髪が復活する
20代後半になったとき、これ以上はヤバイというところまでハゲが進行していました。
そんな時、ある情報が入ってきます。
薬を飲めば治る!しかし!リスクもある!
背水の陣だった僕は投薬治療に踏み切りました。
その結果はこちらに詳しく書きました。
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30代、ついに彼女ができる
一生ひとりだと思っていた30代、奇跡的に彼女ができました。
棚から牡丹餅とはこのことでしょうか?人生に思いがけない出来事が舞い込んできました。
ハゲかけでお金ない30代でも彼女できたので、このとき、人生のテーマが「ハゲても人生楽しむ」に決まりました。
https://chappilog.com/kanojo-dekinai-akirameru
まとめ
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
一言でいえば凡人ですが、自分の人生で体験したことを発信して、何かの誰かの役に立てたらと思います。